SUNNY DAY SUNDAYY

SUNNY DAY SUNDAY

 太陽は既に高いぞ外へ出ろ! お馬鹿なやつらのお祭り騒ぎ

×××


 ある穏やかな午後の昼下がり、ルーンミッドガッツ国教会の総本山であるプロンテラ大聖堂の一室。
 窓から差し込む日差しのお陰で、室内はとても暖かい。
 時間も相まって、眠気を誘うには十分な環境である。
 椅子に腰掛けたアコライトの少女も、教典のページを捲りながらうとうとと船を漕いでいる。
 柔らかな茶色の髪が光に透けて、金色に輝いている。修道士としてはまだ駆け出しの少女の名はアリアという。
 まどろむアリアの手から教典が離れ、机の上でバタンと大きな音を立てた。慌てて顔を上げると、
「……眠いか? つまらん内容を勿体ぶった言い回しで書いてあるから無理もないが」
 一応の指導者であるはずのプリーストの青年が、欠伸を噛み殺していた。
 さらりと教典を冒涜する問題発言をしたこのプリーストは律という。
「どうせ、暗記したところで実生活に役に立つ訳でもなし……」
 律が懐から取り出した煙草に火を付けようとした瞬間、派手な音を立てて表に面した窓ガラスが砕け散った。
「……な、なんですか!?」
 弾かれたように飛び上がったアリアと反対に、律は至極面倒くさそうに立ち上がった。
 散乱した窓ガラスの破片の中、一本の矢が木の床に突き刺さっていた。よく見れば矢羽根の根本に紙が括り付けてある。
「……矢文か」
「古典的な手法ですね……」
 関心とも呆れとも付かない表情でアリアが感想を述べる。
 律は括り付けられた紙を外し、広げる。表には汚い字で大きく『果たし状』と書いてある。
「ふむ。果たし状だそうだ」
「古典的を通り越してベタすぎです……」
 しかし、天下の大聖堂の一室に矢文を撃ち込むとは無茶なことをしでかす者がいたものだ。
 王家とも結びついている教会の権力は国内において非常に強力であり、それを正面から敵に回せば身の破滅は免れないと言われている。
 誤って高位聖職者の居室にでも撃ち込んでいたら、教会への敵対行為として恐ろしい末路が待っていたに違いない。そのリスクを負ってまで矢文という手段を選んだのは、己の腕に余程の自信があったからなのだろう――単に、何も考えていなかっただけかもしれないが。
 内容にざっと目を通した律はくくく、と唇を釣り上げた。聖職者というよりはむしろ、悪魔崇拝者などと名乗る方がしっくりと来そうな笑みだ。
 このひとが平然と神聖魔法を行使しているのだから、やはり神様は居ないか無能なのかもしれない…とアリアは最近思うようになった。
 そう考えること自体が、既に律の無神論に侵食されているという事には気づいていないが。
「今日の課題は終了でいい。最高の暇潰しが出来たぞ」
 笑う律の表情に、アリアはまだ見ぬ果たし状の送り主の行く末を思い……心底同情した。

×××

「ハンターに転職したら真っ先にお前に復讐しようと決めてたんだ。今日という今日こそは決着を付けてやるぜ、律!」
 プロンテラ演習場。
 果たし状の送り主であるハンターの青年は、律にビシリと指を突きつけた。
 短い金髪の下の顔立ちは、どこか子供っぽさを残している。青年というより、まだ少年と呼べる年齢なのかもしれない。
「久しいな、デコ助」
「だーかーらァァァァ!! 俺はデコ助じゃねェェェェェェェェェェ!! 俺の名前はこ・う・す・け! だッ!!」 
 デコ助と呼ばれたハンターはぜいぜいと荒い息を付き、律の背後に視線を向けた。
「そっちの人たち何?」
「ふん、貴様とただ闘り合ったところでさして面白くもないのでな…」
 うそぶいて、律は懐から取り出した煙草に火を付けた。
「実況とか審判いた方が盛り上がるじゃない? あ、私は律の従姉で佳柚。こっちは知り合いのアリアちゃんとイニャちゃん」
「なんだか話がでかくなってます……」
「なんかよくわかんないけど、佳柚さんに捕まったー」
 ニコニコと笑うプリーストの女性、佳柚の両脇にはげんなりした表情のアリアと、イニャと呼ばれた童顔のモンクの青年がそれぞれ捕らえられている。
 普段は律の行動にブレーキを掛ける役の彼女にも、祭り好きという別の一面がある。果たし状の一件を律が告げると、嬉々として駆けつけてきた。つまり、今この決闘騒ぎを止めに入る人間は誰もいない。
 あぁ神様、わたしは何処で道を誤ったのでしょうか。悩めるアリアの問いに答えは返って来そうになかった。
「ところで、あなたは律と因縁があるみたいだけど……どうしたの?」
 佳柚の言葉に、ハンターの青年はがしっと佳柚の肩を掴み力説した。
「よぉっっっく聞いてくれましたお姉さん! この男の過去の悪行を聞いて下さい!」

『そう……あれは十数年前……俺がまだ子供だった頃……』

 ハンターの青年――紘介が涙ながらに語った内容を要約すると以下の通りである。
 紘介少年は幼い頃から髪を短く刈り、額を出した髪型をしていた。
 ある時、近所に住んでいた年上の少年(恐ろしく口が悪く、紘介は常に苦汁を舐めさせられていた)はそんな紘介をこう呼んだ。
『デコ助』
 と。
 あまりにもシンプルで核心を突いたその呼び名は瞬く間に子供達のネットワークに広まり、知り合いの誰もが紘介をそう呼ぶようになった。
 一々否定するにも疲れ果て、名乗ることが一種のトラウマとなった紘介は、故郷を離れてからは名字を通り名として使用するようになったのだった。
「……つまり、その渾名を付けたのが律だったという訳ね」
 コクコクと頷く紘介。
「はぁ…なんか…色々大変ですね。ところで、律さんてフェイヨンの出身だったんですか?」
 あぁ、と佳柚は昔を懐かしむような表情を浮かべた。
「子供の頃体が弱かったのよ、律。それで一時期フェイヨンで療養してたの」
「あれで体が弱かっただって!? ウソだァァァ俺は絶対そんなの認めねェェェェェェ!!」
 何か嫌なことを更に思い出したのか紘介が叫ぶが、当の律は知らん顔で二本目の煙草に火を付けている。
「まーまー、積もる恨みは決闘で晴らすんでしょ?」
 状況を理解しているのか否か、おっとりとした口調でイニャが取りなす。
「とりあえず、武器は模擬戦用のものを使って。本気でやると怪我で済まないしね」
 佳柚が紘介に渡した矢は鏃の先端が丸められており、殺傷力が削がれている。
「でも、当たると結構痛いわよ。で……律のチェインも使用禁止ね。そっちはどうしようかしら」
「余計なものは要らん、素手で十分だ」
 言って、律は懐から出した布を拳に巻き付けていく。
「ルールは……えーと、最後まで立ってた方の勝ち。顔は攻撃しちゃダメ。それぞれ魔法や弓技の使用は自由……こんなトコかなぁ?」
 審判役を任されたイニャは佳柚と細部を詰めている。
「……ところで」
 律が冷ややかな目で紘介を一瞥した。
「貴様、鷹も連れていないのか?」
「え?」
 虚を突かれたような紘介の表情に、律は頭を押さえる。
「攻撃罠の扱いは履修して来たか?」
「いや、全然」
 ハァと溜息をついて黙り込んだ律の代わりに、アリアが言葉を継いだ。
「……それってつまり、ハンターの姿をしたアーチャーって事だと思います……」

×××

「さて、盛り上がって参りましたプロンテラ演習場よりお送りしています。実況はわたくし神楽佳柚、解説はアリア・メンデルさんです」
「佳柚さん、生き生きしてますね……」
 佳柚の持つマイクに音を拾われないよう、アリアがボソリと呟く。
 ぎゃあぎゃあと派手に(主に紘介が)騒いでいた為、訓練を行っていた騎士団の見習い騎士や、模擬戦をしていた冒険者達が周囲に集まり、演習場内はさながらちょっとしたイベント状態となっていた。
 ちなみに、マイクを貸してくれたのはとある商人だ。最近ゲフェンで開発された魔術と錬金術の技術を応用した画期的商品、だそうである。
「それでは選手の紹介に参りましょう。苦節十数年の恨みを晴らせるか!? 『俺はデコ助じゃねェェ!』、怒れる復讐のハンター・椎名紘介!」
「……え、これって格闘技の試合か何かですか?」
 佳柚の実況に、ギャラリーからワァァという歓声が沸き上がる。
「対するは、聖職者の皮を被った人格破綻者との評判にも我関せず。『文句があるなら掛かって来い』、大聖堂一の問題プリースト・神楽律!」
「さらりと酷い紹介ですね……」
 いいぞー、やれやれーと無責任なヤジが飛び交う。
「折角ですから対戦前の一言をどうぞ」
 佳柚の差し出したマイクを受け取り、紘介は吼える。
「俺がおまえにデコ助と呼ばれて……あの時どんなに苦しんだか……。おまえに……おまえなんかにッ!! 分かられてたまるかよッ!
 だが……俺は今までの俺じゃあねぇ(ハンターに昇格したから)……
今こそッ! おまえを叩きのめしッ! おまえに苛められる役だった過去に決別してやるッ!! 土下座して俺に詫びやがれ、律ーーーーーーーーッ!!」
 デコ助頑張れ、という声が外野から飛ぶ。
「応援ありがとう!でも俺デコ助じゃないから!!」
 対する律は、
「御託は要らん。とっとと掛かって来い」
 短く吐き捨てて左手の中指を突き上げた。
「それじゃ、はじめー」
 割れるようなギャラリーの歓声の中、おっとりとした声が戦いの開始を告げた。

×××

 戦闘は紘介の先制で始まった。
 殺傷力は無いとはいえ、放たれる鉄製の矢は当たれば痛い。
「……これだから遠距離攻撃ってのは嫌いなんだ」
 飛来する矢を避け、あるいは叩き落としながら律が毒づく。
 集中力強化のポーションを飲み干し、立て続けに祝福、加護の呪文を詠唱する。

「現在は紘介選手が一方的に攻め立てている状況です。やはり遠距離攻撃のアドバンテージが大きいと言うことでしょうか」
「そういえば、ニューマという絶対防御策があるのに律さん使いませんね」

 速度増加の魔法によって強化されたスピードを生かし、律は紘介との距離を縮める。
 接近戦の間合いに持ち込まなければ、じわじわと体力を削られるだけだ。
「そう簡単に近付かれてたまっか!」
 紘介が束ねた複数の矢を弓につがえる。弓技のひとつ「アローシャワー」だ。
 避けるにも叩き落とすにも数が多い矢の雨に一瞬だけ考え込み、律は敢えて避けずに突っ込んだ。
「……!?」
 キン、と渇いた音と共に矢の大半が勢いを失い地に落ちる。
「ふん。痛いじゃないかこの野郎……」
 叩き落としきれずに当たった矢の痛みに顔をしかめて律は法衣の裾を払った。
「“ キリエ エレイソン ”……クソいけ好かない名の魔法だが、効果は申し分無い」
 自らの精神力を変換し、一定の物理的な攻撃を遮断する障壁を作り上げる神聖魔法。それによって矢の大半を無効化し、残りはダメージを承知の上で紘介の懐に飛び込む。それが律の選択だった。
「くっそ……!」
 間合いに踏み込まれ、狼狽する紘介。
 新たな矢をつがえるよりも、律が拳を振り上げる方が早い。
「攻撃罠と、鷹を持ち出されたらもう少し苦労しただろうが……おおかた、ハンターギルドの人間の説明もロクに聞かずに来たんだろう。貴様の最大の失態は人の話を聞かなかった事だ」
 紘介の手から矢をはたき落とし、
「……だからおめーはデコ助だつってんだよ、バカ」
 一瞬だけ子供の頃のようにニヤリと笑って律は紘介の鳩尾に拳を叩き込んだ。
「…がはっ……!」
「はーい、そこまでー」
 がくりと崩れ落ちる紘介の体を支えながら、イニャがおっとりと試合終了を告げた。

×××

「ちっくしょォォォォォ!」
 既に夕刻にさしかかった演習場に、紘介の叫びが響き渡った。
 祭り騒ぎで観戦していたギャラリーも、既に解散している。
「ふん、アーチャーの分際で勝てるとでも思ってたのか? おめでたい奴だ」
「だからハンターだっつうの俺は!」
「ハンターを名乗るならせめて罠の扱いぐらい覚えて来いこのデコ野郎」
「デコ言うんじゃねェェェェェ!!」
 際限なく続くやりとりを、呆れ半分でアリアらは眺めている。
「よく飽きませんね……」
「元気いいねぇ、デコちゃん。……デコって呼ばれるの嫌なら前髪伸ばせばいいんじゃないの?」
 至極まともなイニャの意見だが……。
「だって悔しいじゃないっスかァ!! この男のために俺がわざわざ変えなきゃいけないってのが!!」
 紘介にも譲れない一線というものがあるようだ。
 その後ろでは律が実に楽しそうにニヤニヤと笑っている。
(可哀想なデコちゃん……)
 一連の間にかここでも『デコ助』の名が皆の意識の間に浸透しつつある事に紘介は気付いていない。
 知らぬが仏といったところか。
「あぁ、そうだ」
 律がふと思い出した、というように呟いた。
「あん?」
「貴様、よもや私の部屋の窓ガラスを割った事を忘れてはいないだろうな……? 修理代払え。ついでにきっちり掃除もして貰おうか」
 心なしか、律の背後に黒いオーラが立ち上っているようにアリアには見えた。
「後、貴様の所属しているギルドのマスターに連絡をしておいた。直に迎えに来るそうだから楽しみにしておけ」
 さっと紘介の顔が青ざめる。
 黙り込んだ紘介に哀れみの視線を向けてから、アリアは先程の疑問を口にした。
「そういえば、どうしてニューマ使わなかったんですか?」
  神聖魔法のひとつ、“ニューマ”は遠距離からの攻撃をほぼ全て無効にする障壁を生み出す。故に弓手がプリーストに戦いを挑むのは通常ではきわめて無謀、自殺行為に近いといえる。
 律はくくく、と例の笑みを浮かべて煙草に火を付けた。
「アレは弓手の攻撃をほぼ無効にしてしまうからな。観客もつまらんと思ったし何より……小細工無しで叩き潰す方が相手の精神に与えるダメージがでかい」
「うわ……えぐいです……」
 遠くから、青い髪のスナイパーの青年が走って来るのが見える。遠目に見てもその表情が怒っているように見えるのは多分気のせいではないだろう。
 おそらくは、彼が紘介の所属するギルドのマスターなのだろう。
「ちっくしょォォォォォォォォ!! やっぱりお前なんか大っ嫌いだ覚えてやがれクソ律ーーーーーーッ!!」

 夕暮れの空に、紘介の絶叫が木霊した。
 彼がその後、どうなったかはまた別の話である。  

 喧嘩別れしてしまった当時の友人との共作のようなもの。


2005.11.20