Orver The Rainbow--後編1

後編 "Everything to lose"

Scene1.家族の肖像

 それはどこか、鏡を見ているのに似ていた。
 同じ顔をした二人の青年は、久しぶりに互いの顔を見合わせていた。
「……教えてくれ、クラウス。何故お前は魔性どもの擁護などする? マリィを目の前で殺された、お前が!」
 詰問するような言葉とは裏腹の悲痛な叫び。それを片手で制して、クラウス・アナハイムは目を伏せた。
「勘違いしないでくれ、オットー。僕はマリィを殺した奴を許す気などない……。ただ、『魔性だから』という理由で全て片付けるのが間違っていると言いたいだけだ。それじゃ、あいつらと変わらない。『味方以外は必要ない』という理由で誰彼構わず殺したあいつらと……」
 沈んだ表情のままクラウスは続ける。
「本当は、気付いているんだろう?魔性を追放したところで、僕らの傷は癒えるはずもないと」
 長い沈黙が二人の間に落ちる。
「……ならば、俺にも見せてくれ。お前が信じる真実を」
 オットーが立ち去り、扉が閉まってもしばらくの間、クラウスはその場を動かなかった。
 椅子に身を預けたまま、大儀そうに目を閉じる。四肢が力を失っていく。

(オットー……お前は……真実の痛みに耐えられるかい?)

Scene2.雨と傷跡

 明け方から振り始めた雨は、昼近くになっても止みそうになかった。
 嫌な雨だ、とルドゥファ・イルヴートは思った。
 或いはこの雨が、血の匂いも何もかも流してくれるならば良いのに。
(……こんなものか)
 額の汗を拭い、ルドゥファは部屋を見渡した。
 先日の惨殺事件の現場となった部屋。現場の検証も終わり、既に軍の兵士たちの姿はない。
 その部屋を、彼は丹念に掃除していた。
 床や天井にべっとりと染みついていた血痕は綺麗に拭い去られ、凄惨な事件の痕跡を残す物はない。
「あ、終わりましたか?」
 バスケットを持った隣家の女性がひょこりと顔を出した。
 薬瓶の蓋を閉め、ルドゥファは彼女に向き直った。
「あらかたは。もう少し換気をしないと薬の匂いが抜けないと思いますが」
「すみません、本来は私達のするべき事なのに、わざわざ手伝っていただいて……。これ、お弁当です。よろしければ食べてください」
 床に腰を下ろし、差し出されたサンドイッチを受け取りながら、ルドゥファは懸案だった疑問を口にした。
「……それで、彼女の具合はどうですか?ここに連れて来ても平気か、ということですが」
 『彼女』というのは事件の生き残りの少女だ。傷ついた彼女を自分の家に戻してやりたい――それが、ルドゥファが掃除をしていた理由だ。
「ええ、大分落ち着いたみたいで……。少しずつですけど、話もしてくれるようになってきて」
 その答えに、ルドゥファは安堵の表情を浮かべた。
 彼女を、放ってはおけなかった。自分も同じ痛みを知っていたから。

×××

「……なんて言ったらいいんだろな」
 部屋の中をうろうろと歩き回りながら、キバ・クロガネは頭を捻っていた。
「……う~~~ん……」
 彼の歩きに併せて、尻尾がぱたぱたと揺れる。
「ばう」
(……あんまり歩いてると床が抜けるぞ?)
 とでも言いたそうなシャドウドックのカゲの視線に気付いて、キバはベッドにひっくり返った。
「あー、おいら、こういうの苦手なんだよな~」
 しばらく考え込んだ後、彼はなんと言うかを決めた。飾らない、自分の言葉で。
「よしっ、行くぜっ、カゲ!」

×××

 少女がおずおずと部屋に足を踏み入れると、ふわりと柔らかい匂いがした。匂いの元はルドゥファの炊いた香。
「一人じゃ大変だと思って、掃除をしておいたんだ……気を悪くしたら、ごめん。誤るから……」
「……エリィちゃん、このお兄さんがお部屋をお掃除してくれたの。ご挨拶できる?」
 エリィと呼ばれた少女は視線を上げると、ぺこりと頭を下げた。
「……おにいちゃん、おへやのおそうじしてくれてありがとう」
 思ったよりもしっかりとした少女の姿に、ルドゥファも笑みを零す。
「君の名前は、エリィって言うのかい?」
「ほんとうは、エレノーラっていうの。でもみんなエリィってよぶの。おにいちゃんも、エリィってよんでね」
 付き添いの女性がそっと部屋から出て行くのを見ながら、ルドゥファはかがみ込んでエリィと目線を合わせた。
 事件からまだ三日ほどしか経っていないが、大分顔色も良く、徐々にショックから立ち直りつつあるのが見て取れた。
 あるいは彼女が幼いことが幸いしたのかもしれない。
「何かあったら、俺に言ってくれ。君に対してはできる限りの協力をするから」
「どうしておにいちゃんは、エリィにやさしくしてくれるの?」
「……お兄ちゃんも、昔君と同じだったからさ」
 微かな胸の痛みを思い出しながら、ルドゥファは微笑んだ。
「おにいちゃんのパパとママも、おほしさまになったのね。エリィのパパとママとおじいちゃんも、おほしさまになって、エリィのことをみててくれるんだって。だから、エリィさみしくないよ」
「……君は」
 ルドゥファが続けようとした言葉は、派手なドアの音でかき消された。
「……おっす! 元気になったか!?」
 勢いよく入って来たのはキバ(+カゲ)だった。
「いぬのおにいちゃんだー」
 キバの尖った狼の耳や尻尾に、エリィが目を輝かせる。
「おいらは犬じゃなくて狼……ってひゃははは……!」
 小さな手でぺたぺたと耳を障られ、キバがくすぐったさに悲鳴を上げる。エリィのくすぐり攻撃が収まると、キバは表情を引き締め、エリィとまっすぐ向き合った。
「ごめん、おいら、どう言っていいのかわかんねぇけど……悪いやつは捕まえて、かならず謝らせてやるから。そうしたら、一緒に遊ぼうぜ。な?」
「……そっちのわんちゃんも、いっしょに遊んでくれる?」
「……あぁ、やくそく、だ」
 にかっと笑みを浮かべて、キバはエリィの小指に自分の小指を絡ませて指切りをする。
「うそついたら、はりまんぼんのますからね」
「……おう!」
「あ、エリィ、もうおばさんのとこにかえらなくちゃ。おにいちゃん、いぬのおにいちゃん、またあそんでね」
 ぱたぱたと走り去る小さな背中を長めながら、キバは安堵の溜息を漏らした。正直、もっと酷く塞ぎ込んでいると想像していたのだ。
「……おまえも」
「ん?」
「……あの男を追うのか?」
「あぁ! 絶対とっちめてやらねぇと!」
「……そうか」
 いきり立つキバとは対照的に、ルドゥファは落ち着いていた。
(彼女には聞き損ねたが……)
 自分の心が酷く冷えていくのを感じながら、ルドゥファは目を閉じた。

Scnen3.ココニイルコト

「聞いたか?このあいだの惨殺事件」
「あぁ、あの一家三人が殺されたってやつだよな、酷ぇことする奴がいるもんだ」
「犯人の手配書が出たんだけどよ、どうも魔性じゃないかって話だぜ」
「本当か?こりゃ、魔性追放論が通るのも時間の問題だな」
「クラウスも酔狂だよなー。ジェイコブもなんか一枚噛んでるらしいけどよぉ」

 モーリス城下の昼下がり。
 大通りの公園のベンチにちょこんと腰掛けながら、ラウシュ・ファーナスティカは聞こえてくる噂話に耳を傾けていた。
 聞こえてくるのは大抵魔性に対する風当たりの強さを示すものばかりで、ラウシュは溜息をついた。
 クラウスの蔵書やレポートを読む事で魔性に関する知識は増えたものの、自分自身で実際に情報を集めようという試みはあまりうまくいっていない。街中の噂は憶測や偏見に満ちていて、実際の魔性の像とはかけ離れた噂が一人歩きしているといった状態だった。
 マチュウのセルムの背中を撫でながら、ラウシュは目を閉じ、アンチヴァートの気配を探った。
 街中は雑多なヴァートに溢れているが、魔性であるラウシュは、普通の者より強くアンチヴァートの気配を感じる事ができる。
「……いこう、セルム……」

×××

 ラウシュの探り当てた気配は、アンチヴァートの残留思念とでもいうべきものだった。求めていた明確なものではなかったものの、ラウシュは『大地の記憶』を使用して過去を垣間見た。

 ある魔性は衝動のままに人を殺した。
 別の魔性は魔物から子供を庇って命を落とした。
 また別の魔性は魔性であるという理由で人々から追われた。

 魔性には善人も悪人もいた。
 人間や神族がそうであるように。
 それでも、人々は『魔性』という存在を自分と同じだとは見ていなかった。

 『魔性なのに、いい人』
 『魔性だから、やはり悪人』

 流れ込むイメージ――過去の魔性たちの狂気、苦しみ、悲しみ、絶望。混沌とした感情の渦に飲み込まれそうになって、慌ててラウシュは術を解いた。
 無意識のうちに、両目から涙が溢れていた。
「……魔性は……生きていてはいけないの……? 人も神も……良い面と悪い面を持って生きている……それなのに……?」
「生きていけない訳なんかねぇさ」
「……!?」
 不意に後ろから掛けられた越えに、反射的に身構えて振り向くラウシュ。
「まー、そう怖い顔すんなや嬢ちゃん」
 そこに立っていたのは、”最強の魔性”ことジェイコブ・ザ・ギムレット。

×××

「わたし……これから自分がどうしたいのか……わからないの……どう生きていきたいのか……」 
「まぁ、そのへんはあれだ」
 公園のベンチで、ジェイコブは『ビタミンたっぷりのマイザー野菜ジュース』を片手にラウシュに向き直った。
「俺はいつ魔性になったのかも、どういう理由でなったかも覚えちゃいない。それでも俺はこの二十年以上、ちゃんとやってきたんだ。魔性の中にはショックでなのか、性格が変わっちまったりとか、破壊衝動に駆られちまうヤツも居るが、魔性の全てがそんなんじゃねぇ」
 嬢ちゃんだってそうだろ?と笑うジェイコブに、ラウシュは小さく頷いた。
「人間にだって神族にだって、良いヤツも悪いヤツも居る。魔性も同じだ。元々同じ人間であり神族なんだからな。大事なのは魔性だからどうのこうのっていうんじゃなくて、そいつ自身がどういうヤツか、っていうことだ。それでいいじゃねぇか」
「……大事なのは、わたし自身がどうあるか……」
「そういうこった。何がしたいのか判らないってんなら、これから自分で探せばいい」
 飲み終えた瓶をゴミ箱へ放りながら、ジェイコブは笑った。
 セルムを抱きしめながら、ラウシュは人混みを見つめた。感情すらもよく判らなくなってしまった自分。
 ――わたしは何がしたいんだろう?
「……そういえば」
 どうした、とジェイコブが振り返る。
「クラウス……あの人も魔性なの?」
「いや、あいつは普通の人間だ……ぞ?」
「……さっき、大地の記憶を使った時に見えたの……一番最後に見えたイメージ……とても苦しそうな表情で」
「本当か嬢ちゃん……まさか」
 ジェイコブは空を仰いだ。何か嫌な予感がしてならない。
 クラウスが魔性だとすれば、その意味するところは……?
 バラバラだった真実のピース。それはようやくひとつになりかけようとしている。

Scene4.咎人たち

 どくん。どくん。
 自分の心臓が鼓動を打つ音を、アルシア・スファルドは酷く大きく感じていた。
 目の前には絶命した若い男の死体。そしてその犯人たる男――秩序と法を司る神族の族長ゼファン・エラノスが城壁の上から、アルシアを見下ろしている。
(まさか、族長が犯人だったなんて……)
 同族の信用を回復したいと思っていたアルシアにとって、族長ゼファンが犯人であったというショックは大きい。
 それでも、だからこそ自分の手で決着を付けねば、とアルシアは決意を固めていた。
(とりあえず、逃げ出すスキを作らなきゃ……)
 ちらり、と傍らののディシクリート・アヴォイツェンに目だけで合図を送り、精一杯の困惑の表情を浮かべてアルシアはゼファンを見た。
「ゼファン様!どうしてあなたが魔性に!?それに、どうしてこんなことを!」
「勘違いするな」
 城壁の上から舞い降りたゼファンは冷めた目でアルシアを一瞥した。
「私は闇に魅せられて魔性に堕ちたのではない。敢えてあの小娘に協力してやっただけの事。崇高なる目的の為に」
(……小娘……レリクスか?)
 緊迫した状況の中でも、ディシクリートは冷静にゼファンの言葉を分析していた。討論会ですべてを明らかにするためには、このゼファンの告白が何よりの証拠となる。聞き逃すわけにはいかない。
「目的?目的とは、いったい何なのですか!?」
 あくまで動揺した風を装いながら、アルシアは核心に迫ろうとする。
「この世界を再び二つに分かつため。我らの神性を守るためにはもはやそれしかない」
「どういう事ですか?」
 ふん、と小馬鹿にしたような表情を浮かべて、ゼファンはアルシアとディシクリートを見る。
「お前達も神族の一員ならば知っているだろう。神族の力は急速に失われつつある。このままではいずれ、神族は神としての力を失い、人間と変わらなくなってしまう……下賤な人間の血などが混ざった為に!」
 一瞬、ゼファンの顔が怒りに歪んだ。
「だから、人と神族の混血の人たちを殺したのですか? 何もそこまで……」
「人間などと共に暮らすことがいかに愚かなことか、神族に思い知らせたまでだ。そして神と人の不信を互いに煽れば、怒りや絶望といった負の感情はこの世界を砕くための負のヴァートとなる。お前達も神族の端くれであるならば我らに協力するがいい。そうすれば、その小娘の汚れた血も見逃してやろう」
 ゼファンの自己本位すぎる理屈に辟易としながら、こっそりとディシクリートは携帯神話の録音ボタンを切った。
 あとはとりあえずこの場を脱出しなければ……とアルシアを見やると、
「へーぇ……そう……そういう事言うのね」
 さっきまでのしおらしい振りは何処へやら、全身から怒りのオーラを立ち上らせていた。
「うふふ……いかに族長といえど、ヲトメに襲い掛かろうとしたらどーなるか、思い知ると良いわぁ♪」
 天秤槍を構えたアルシアは、次の瞬間口に手を当てて大声で叫んだ。
「キャー! ヒトゴロシー! 誰か助けて!!」
「なっ……」
 呆気に取られたゼファンめがけて、携帯していたコショウを投げつけると一気に駆け出す。
「……くっ……小癪な……」
「連続殺人の犯人だ! 誰か!!」
 ディシクリートも叫び、ゼファンの一撃を白羊剣で受け流す。
 ここは街中だ。叫び声と物音に反応して警備兵が動くかもしれない、と彼は踏んでいた。
 そしてその援軍は程なく現れた。
「大丈夫ですか!?」
 現れたのはフィール・カスタムだった。
 フィールの後ろから、アルシアも駆け戻ってくる。
 形勢を不利と見たゼファンは、一瞬の隙をついて飛び去った。
「待って下さい!!」
 追いすがろうとするフィールを、ディシクリートは制した。
「僕の考えが正しければ、彼の向かった先は見当がつく」
 「本当ですか!? 早速追いかけないと!」
(……そう……考えが正しければ……)

×××

「もしやと思っていたけど……やっぱりキミとクラウスはグルだったようだねぇ」
 不意に背後から掛けられた声に、ゼファンはぎょっとして振り向いた。
 声の主はディシクリート。その横には槍を構えたアルシア。
「お願いです、これ以上罪を重ねるようなことはしないでください」
 前方を塞ぐのは、フィール。
 実は、ディシクリートはずっとクラウスを怪しんでいた。歴史学者の立場を利用して、犯人に情報を流しているのでは、と。
 そのため、ゼファンとクラウスが協力関係にあるのなら、ゼファンはクラウスの元へ向かうのではないかと思い、クラウス邸へと続く道に張り込んでおいたのだ。
「さぁ、逃げ場はないよぉ。それでもまだ、やるかい?」
 ディシクリートがゼファンに詰め寄ろうとしたが、
「グル呼ばわりされるのは、少々頂けないね」
「……!?」
 何時の間に現れたのか、ゼファンの背後にクラウスが立っていた。
(何故だ、気配すらなかったのに……!)
 ゼファンの首筋に短剣を突きつけて、クラウスは昏い笑みを浮かべた。