400words-#02

400words-#02:「春に眠る」


 静かな、春の日のことでありました。
 はらはらと舞う薄紅の花びらを、一人の男が眺めておりました。男の手にした剣は折れ、その体は血で赤く染まっています。
 かつて男は英雄と呼ばれた戦士でした。幾度となく国を救う戦に身を投じたものです。 今、倒れ伏す男を看取る者はいません。周りは全て物言わぬ骸の山なのですから。
 男は静かに舞う花びらに手を伸ばし、何かを言いかけて口をつぐみました。その美しさを称えるための言葉を、何一つ知らなかったのです。その花の名前も、知りません。
 幼くして戦場に立った男に、大人達は剣の扱いや人の殺し方を教えても、花を愛でる心を教える者はありませんでした。
「……きれい、だな」
 その声は掠れて、弱々しいものでした。
 男は自分の口からそんな言葉が出たことに驚いたようにも、満足したようにも見えました。花びらが、そっと肩に落ちます。
 とても静かな、春の日のことでした。


 お題「桜」
 2010年5月