Faith
目に見えるもの見えないもの 信じるということ信じないということ
×××
その日、アリア・メンデルは最高に緊張していた。
真新しい修道服を身に纏い、ぎくしゃくと歩く彼女にすれ違うプリーストが笑みを零す。
「ええっと……場所はここでいいのかな」
主任司祭から尋ねるよう指示されたプリーストの部屋が記されたメモに目を落とし、アリアは深呼吸した。
「どうぞ、鍵は開いている」
ノックに応えたのは穏やかな若い男の声だった。
「失礼します」
部屋の主は揺り椅子の上で暇そうにぱらぱらと分厚い本を捲っていた。
やや伸び気味の黒髪から覗く、眼鏡の下の眼光は鋭い。着崩した法衣と口に銜えた煙草が、どこか聖職者らしからぬ雰囲気を醸し出している。
「……ふむ。私にまで新人の指導を任せるとは余程人手が足らぬようだな」
「はぁ……」
呆気にとられている少女を一瞥し、男は眉を顰めた。そのまま何かを思案するように中空を見つめていたが、軽く頭を振ってアリアに向き直った。
「とりあえず掛けるといい……私は律(リツ)」
律と名乗った風変わりなプリーストは椅子を引いてアリアを見やった。
「あ、ありがとうございます。新任アコライトのアリア・メンデルです、よろしくお願いします」
緊張でぎこちなく一礼したアリアに律は曖昧に頷き、机の脇に設えられた本棚で何かを探し始めた。
ハズレ、違うなどとぶつぶつと小声で呟く律の背中を見やりながら、アリアは漠然とした不安に駆られてきた。
どうもこの青年は有り体に言って、変人という言葉が当てはまるのではないだろうか?
(なんか私、試験で失敗したかなぁ……)
「君は」
「……はいっ!?」
不意に振り返られて素っ頓狂な声を上げるアリアにも表情を変えず、律は再び本棚に向き直った。
「何故、アコライトになどなろうと思った」
「え……それは、やはり神の教えを実践する職ですから…」
模範的な答えに、ぴたりと律の手が止まった。
「……本当に、そう思って?」
振り返る視線は鋭く、冷たい。
まるで冷たい手に首筋を触れられたかの様な感覚に襲われて、アリアは狼狽した。
「え、あ、その……実は…私のお姉ちゃん、剣士なんですけど……凄いドジで……よく怪我してばっかりなんです、だから」
やはりこんな理由ではダメなんでしょうか、とうなだれるアリアに、律は微かに表情を緩めた。
この青年の表情はとても読みにくかったが、それは微笑んでいるように見えた。
「いや、そのぐらいの理由の方がむしろ丁度良い。君が本気で信仰に一生を捧げるつもりでなくて良かった」
「……え?」
「神は、信じる者を救う事などないのだから」
×××
「ふむ。大分形になってきたようだ……今日はこのぐらいで十分だろう」
数時間後。
神学の基礎知識、神聖魔法の理論、実践。一通りの初期カリキュラムの終了を律が告げた。
実際の所、律は少々とっつきにくいもののその知識は多岐に渡り、神聖魔法の使い手としてもかなりの上級者のようだった。
先程の口ぶりでは大聖堂の上層部とは折り合いが悪いようだが、その律自身が口にした言葉が引っかかる。
「あの……先ほど仰ったことなんですけれど……どういう意味なんでしょうか」
「"神は信じる者を救わない"と言った事か」
応えながら律は煙草に火を付けた。微かな香草の匂いが部屋に広がる。
「ヒールの魔法を私に掛けてみろ」
話との関連性が見えずに疑問を抱きつつも、実践した内容を思い出しながらアリアは呪文を唱えた。
「神よ、そのあたたかき光を持ちて、今ここに傷つきたる者を癒やし給え……ヒール」
かざしたアリアの掌から暖かな光が広がり、律を包み込んでいく。
「教本通りだが、まぁいいだろう……。魔法の発動というのは、それぞれの個性が出る。聖句を唱える者、聖歌を歌う者……祈りの様式など様々だ」
言いつつ、無造作に律は手をかざす。
「ヒール」
短く呟くと同時に、アリアが起こしたのよりも強い光がアリアを包み込む。
「実際には、呪文になどさしたる意味はない。一般に、我々は己の精神力で神に働きかけ、その力を借り受けると言われている。だが、実際のところ魔術師達となんら代わりはない、あくまで働きかける要素が違うだけでな」
魔術師は己の精神力を媒介に、世界を構成する根元的な要素――自然エネルギー、エレメントなどと称されるもの――に働きかけ、自らの望む様々な現象を起こす。
聖職者は己の精神力を媒介に、世界に満ちている神の力を借り受け、様々な奇蹟を具現化させる。
これが一般に言われている魔術師と聖職者の違いだ。
だが、律によれば魔術師と聖職者は本質的には同じものなのだという。
「詠唱の際の呪文など、己の精神力を高める手段に過ぎない。ただひとつ必要なのは、エネルギーに形を与える"名前"だけだ。だからこそ、私のように祈りなど何も唱えずとも奇蹟は起こせる」
吸わずに短くなってしまった煙草を灰皿に押しつけ、律は吐き捨てるように呟いた。
「もしも神が実在するのであれば、私のように不信心な者にその力が借り受けられるとは思えん。仮に実在するとして、無神論者が力を使っているのにも気が付かない、あるいは無関心の神が、信心深い者に何かをするとも思えんな」
律の声に微かな憎悪の響きが籠もっているように、アリアは感じた。
この青年が上層部と折り合うはずもない、根元的な考え方が違いすぎるのだ。故に自らが疎まれていることも十分承知しているのだろう。
「なら……あなたは……何のために神に仕えているのですか?」
微かに震える声で問うたアリアに、律は始めてハッキリと解る微笑みを浮かべた。
「抗うためさ」
「"神"という愚かな概念に」
RO世界は普通にプレイしてる限りだと神の存在が希薄すぎる、という点からはじまった無神論者プリの話。
2005.07.18